2007.09.03(Mon)
"My only plan is, I have no plan."★★★★★
前回の『アラビアのロレンス』の記事で、『シェルタリング・スカイ』の名前が登場したので、こっちも書いておこう。この映画のストローラの砂漠の映像はすばらしいよ。
なんでこの映画が好きなんだろうねえ。
わっかりにくい映画だと思うんだよねえ。原作はもっとワケわからんけど。
でも好きなんですよ、すごく。もう二度と見ることがなかったとしても、多分好きな映画に挙げると思う。
スコアが素晴らしいです。
『ラストエンペラー』で音楽を担当した坂本龍一が、再びベルトルッチに採用されました。
きっと何度見てもワケわかんないんだろうけど。
いいんだよ。
以下は、2003年に見た時の感想からです。
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「私は10代、20代、30代、40代に必ず1回は『風と共に去りぬ』を見てるんだけど、あの映画は毎回感じ方が違うのよね」
映画おたく絶頂期だった頃(10代)聞いた、知人の言葉を今でもかなり良く覚えています。
だからあなたも絶対に見なさい、何度見たっていい映画なのよ、って話だったんだと思うんだけど、話の意図は覚えてないや。
当然のごとく、自分が『風と共に去りぬ』を見た時は、他にもあれこれ読んだり聞いたりしてたのもあって、すごい映画であることを頭に入れて期待に胸をふくらませて見たんだけど、そこまで心動かされなくて、正直ショックだった。
映画に対して落胆したんじゃなくて、どうやっても素晴らしいはずの作品に大して感動しなかった自分に対してして落胆した。
名作の良さがわからないなんて屈辱を認める訳にはいかないから、自分にとっては10代ではわからない映画ということにして、20代を待つ事にした。
でも結局何年たっても何回見ても涙流す訳でも鳥肌立つ訳でもなくて、別に感動が増す訳じゃなかった。無理矢理感動しようと頑張っていた気すらする。ダメじゃん。
スケールのでかさと時代背景を考えたうえでのストーリー性のすごさは確かに感動的だし、あの映画が自分にとってのナンバー1だと言う人が沢山いるのもすごく納得がいく。
あの時代にスカーレットのような女性像が存在しただけですごいし、あらゆるランキングの上位に入っても素直に拍手で同意なんだけど、その史上に残る名作が自分にとってのランキングでは上位10位にも入らないだろうということを認めるまでにかなり時間がかかった。
正直いまだに少しは屈辱感というか疑問が残るけど、でもなぜか『風と共に去りぬ』はそこまで訴えてくれないんだ。残念ながら。
つい最近、深夜に『シェルタリング・スカイ』がやっていた。
もう散々見たし、深夜だったし、見るつもりはなかったのに、気づいたらやっぱり最後まで見てた。
今回見たのは久しぶりだったんだけど、衝撃だった。全然違かった、感想が。
それで初めて気づいた、10代、20代、30代、いつでも感じ方が違ってた。
自分にとっての『風と共に去りぬ』は『シェルタリング・スカイ』なんだ。呆然としたね。
誰にでもそんな映画があるんだ。『風と共に去りぬ』とは限らないんだ。
初めて『シェルタリング・スカイ』を見たのはいつだっけ、出会った時にはすでにビデオだったな。
多分マルちゃんに凝ってた頃で、出演作を見あさってたんだと思う。
NYの喧騒から広大な砂漠に脱出して、自己の中に追い込まれていく二人。
とにかくハマった。腹の底から頭の芯まで、波にのまれたみたいな、酸欠になったみたいな状態になった。
昔も今も、グランド・ホテルから出てくる瞬間に身体中の筋という筋、筋肉という筋肉が締めつけられる感覚は変わらない、あの音楽。
あの場面のあの音楽のタイミング程、息ができなくなる瞬間もない。
常に感情が変わるのは、マルちゃんが死ぬ辺りからだ。
死ぬ前に彼が気持ちを打ち明けたように、彼の彼女に対する気持ちはいつでも愛だったんだと思う。
よじれてよじれてよじれて、曲がった形でしか表現できなかった自分の愛情を、逃げて逃げて逃げたあげくにようやく、純粋な形で表現できた。
彼が息絶えて泣いてすがる彼女も、愛だと思っていた、昔は。
愛し合っているのにすれ違い続けて、お互いに対して素直になれた時にはもう遅すぎた、と感じていた。
今回見た時は違かった。
泣いてすがる彼女は、愛ではなくエゴだと思った。ひとりになる恐怖だと思った。
愛しているから彼の死がつらくて泣くんではなくて、死なれたら取り残されてひとりになるから怖くて泣いていたんだ。
彼の愛情表現が曲がってしまった元々の原因はそれだったのかな。
彼が彼女といるのは愛情からだけど、彼女が彼といるのは孤独を避けるためで、いつしか彼は素直に愛情をふりそそぎ続けることができなくなっていったのかな。
その辺はわからないな、まだ。
彼が死んで、彼女は旅を続けるわけだけど、以前はそれをあまり深く考えた事がなかった。
ただのノスタルジーだと思ってた。
でも良く考えたら、彼女は砂漠にいたくなかったんだし、彼は死んだんだから戻れたんだよね。
戻れば良かったんだよね。
今回初めて彼女が旅を続けたのがなんでだったのかふと気にかかった。
ひとつは、止まれなかったんだと思う。動き続けてきた流れで動いたんだと思う。砂が動き続けるように。
もうひとつは、逃げたんだと思う。何も考えられなかったし考えたくなかったから。とうとうひとりになってしまった事実から逃げたんだと思う。
二人が身を包んできた余計な物や気持ちが、砂漠の奥へ奥へ進むにつれ削ぎ落とされていって、彼が病にかかって死ぬ頃には、どちらも真実と本心だけしか抱えてない状態になってたととってたんだけど、今回見たら、彼が死ぬ時にはまだ彼女の方は焦りや困惑やらでいっぱいで、ちっとも浄化された状態じゃないと思った。
旅の始まりは彼にとってのスタートで、彼の死が彼女にとってのスタートだったんだと思う。
ひとりになって初めて彼女の旅が始まった。
ひとりでいられなかった彼女がひとりでいられるようになって終わる映画だったんだなあ、これって。
全っ然違うじゃん!最初と!すごすぎ!
だって彼女は一生さまよい人でいることを選んで、迷い人でいることに安心したんだろうと納得してたんだよ。
彼女は時を止めて、ずっと思い出の中で生きていくんだろうととってたのに。
もう彼女がはかないとは思わない。
今では、彼女がアメリカに帰る可能性だって考えられる。
随分な違いじゃない?
また忘れた頃に見るのが楽しみ。
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